第8次ワラバラ探検隊|知ラレザル都野津ノ町ヲ探索セヨ

島根県江津市都野津町(つのづ)。

同市沿岸部に位置し、昔懐かしい町並みが残っている。

都野津町は古くから窯業が盛んで、瓦工場が数多く立地していた。

瓦に適した粘土が採れることから窯業の集積があったわけだが、この粘土層はその土地の名をとって”都野津層”と呼ばれている。

 

とまあ、なんとなく都野津町について知っていることを書き殴った夏の昼下がりなう。

今回のワラバラ探検隊は『都野津町探検』を決行した。

知っているようで知らない都野津町の秘密を探る!

 

在りし日の人麻呂の松

朝9時にもかかわらず、とてつもない日差しが探検隊を襲う。

探検は始まったばかりだというのに、探検隊のHPはいきなり半分に削られる。

歩き始めて5分もたたないうちに、その足取りはトボトボ。

事前に入手した都野津町歴史マップ賢 者 に 封 印 さ れ し 古 代 羅 針 盤の写しをもとに、とりあえずの行き先を決める。

昭和20年代の都野津町の様子(資料:都野津コミュニティセンター)

最初の目的地が決まった。

 

ここで今回の新入り(受講生)を紹介しよう。

ジュンイチ・F・モリヤマ隊員(写真右。隊員番号7番。趣味は出向)

“肉髭のフレーク”の異名を持つ。

Fの意志は生きていた(意味深)

 

朝9時の時点で30度に迫る気温。負けられない戦い(探検)が始まる……!

ヒーコラ言いながら柿本神社に到着。

いわゆる古事記や日本書紀に出てくる神様ではなく、万葉集にゆかりのある二人を祀っている。

あまりにも暑いので、木陰で休んでいると、近所のマダムが話しかけてくださった。

この神社は先ほど書いた通り、万葉集にゆかりのある柿本人麻呂を祀っている神社で、もともとこの神社に生えていた松を地元の人たちで大切にしてきたが、マツクイムシの影響で平成9年に伐採されてしまったそうだ。

その松は枯れる前にたくさんの種を残し、その種から二代目が育ち、今も境内で根をはっている。

初代のように枯れさせてはならないと、今も地元の人たちに大切にされている二代目。

あまりにも大切にされすぎて、どう手入れをしていいか分からない、とマダムは語った。

二代目の松は元気に育っている。

神社に着いた当初は、この切られた木が初代の松だと思っていたが、皮や枝を見ると松ではない。

マダム曰く、

「邪魔だから切ったのよ!」

とのこと……。(銀杏よ、来世は松になるのだぞ)

その後も様々な話をしてくださった中に、興味深い情報が……。

“あの場所”にしかないと思われていた”とあるもの”が、この都野津町にもあるらしい。

マダムにお礼を言って別れ、とりあえず江津高校方面を目指す。

 

「馬が真っすぐ走れないようにかぎ型になっている場所があるのよ」とマダム。よく城下町などで見かけるが、城のない都野津にもあるのだ。

都野津町にはこんな小さい路地がいくつもある。いい感じだ。

 

18歳で文房具屋として起業したマダム

江津高校のグラウンド下まで歩いた。

今日はとにかく暑い。

どこでもいい。日陰はないのか。

ええい、ここだ。入っちまえ。

国沢文房具店。

店主のマダムはなんと18歳でこの文房具店を始め、今もご商売を続けている。

文房具を買うわけでもないのに、いきなり入ってきたおっさん隊員たちを嫌な顔せず、接してくださった。

すぐ近くに江津高校があり、今よりも学生が多かったころの話をしてくださった。

「まだ昼休みになってないのに、業間休みにお店に学生が来て『おばちゃん、ザク入ったか?』って言うのよ」

業間に学校を飛び出すなんて、今の子どもはいないと思うが、マダムの口から『ザク』という単語が飛び出したのがなんとも興味深い。

外観は古い文房具店だが、品揃えは最近の商品も揃えてあり、駄菓子も売っていて地元の子どもたちが買いに来るらしい。

「空港で没収された」というオダワラ旅団長はカッターナイフを購入。

国沢文房具店、ぜひ御贔屓に。

 

オレたちはくずだった

国沢文房具店のマダムと別れ、引き続き都野津の町をさまようおっさん隊員たち。

これが何を意味するのか。知っている方はワラバラ探検隊までご連絡を。

この物体には時間が流れていないようだ。

時計は11時を過ぎていた。いよいよ暑さが本格化してきた。

暑い……。

最初に出会ったマダムに教えてもらった”とあるもの”を探すが、まだ見つからない。

暑すぎて命の危険を感じる。

その時、

…………

……ハッ!

こ、ここは……

一体何が起きたのか、我々には分からなかった。

一つ言えることは、我々は気づいたときには店に入って、注文を済ませていた、ということだ。

みなと菓子処。

昭和20年代の地図にも載っているので、少なくとも70年以上続く老舗のお菓子屋である。

聞けばこの『葛アイス』はこの夏からの新商品らしく、卵・小麦粉・乳成分不使用の優れものだ。

アイスだけど、葛のモチモチとした触感もあり、溶けて垂れることもほとんどない。

あっという間に平らげた。

ひと心地ついた我々は再び”とあるもの”を探しに町へと飛び出した。

 

例のアレ

都野津町歴史マップ賢 者 に 封 印 さ れ し 古 代 羅 針 盤の写しを手掛かりに、歩いていない道をしらみつぶしに歩く。

都野津町のシンボル的な建物の一つ『旧都野津町役場』。今でも地元の人たちが活用している、歴史的な建造物だ。

江津市内でも古くから人が住んでいる地域ということもあって、さまざまな史跡があることが分かる。

オダワラ旅団長とボンコバラ大尉が中学時代に通っていた学習塾。(先生、お元気ですか?)

戸長役場(こちょうやくば)とは、明治時代初期に戸長が戸籍事務などを行った役所のこと。 現在の町村役場の前身にあたる(wikipediaより)

瓦の町だけあって、カッコイイ龍の鬼瓦が!

 

ほとんどの道をほっつき歩いた。

例のアレがそろそろ見つかってもよいころだが……

 

ん?

!?

!!!?

神社で出会ったマダムの言はこうだった。

「あなた方ご存知? 江津本町にあるでしょ、”鼻ぐり石“。あれね、都野津町にもあるのよ。~~のお店の前なんだけど」

確かに鼻ぐり石は都野津町にもあった。

言われなければ見過ごすくらい、さりげなく、鼻ぐり石は静かに佇んていた。

窯業の集積地として栄え、それに合わせて様々なお店が集まる”商人の町”でもあった都野津町。

各地から様々なものが集まる物流拠点でもあったため、荷を運ぶ馬や牛をつないでおくのが、この”鼻ぐり石”である。

江津本町にはこの鼻ぐり石が数多く残っていて有名なのだが、都野津町にあることは地元の人もほとんど知らないらしい。

※江津本町の鼻ぐり石はこちら

 

車からは見えない風景

今回は都野津町の町を探検した。

車社会となり、移動のほとんどを車に頼っている我々現代人だが、自分の足で歩いて見る町並みは車から見るそれとは違って見えるし、車だと見落としてしまうものもたくさんある。

まち歩きイベントといえば、江津本町の『fula:re ふらり』が有名だが、都野津町もなかなかのポテンシャルを持っていることは疑いの余地がない。

「まちをもっと使いこなそう」がスローガンのGO▶︎つくる大学にとって、まち歩きはまちを使いこなす最初の一歩になるかもしれない。

 

to be continued…

次回
アンタッチャブル・オンバシ

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