(前回までのあらすじ)
ワラバラ探検隊一行は、午前中に諜報活動(江津市図書館郷土資料室にて文献調査)を行い、そこから洗い出した情報から、江津市敬川町にあるとされる”敬川古八幡”と旧山陰道の”波子の石畳”の在りかをつかむべく、行動を開始したのだった。
敬川・“イニシエ”・八幡
最初の目的地は江津市敬川町。
江津市の西側に位置し、その名のとおり敬川という川が町内にある。
敬川町内にも神社がいくつかあり、以前訪れた妙見神社や
今回のターゲットである八幡神社のほか、お寺もいくつかあり、
江津市内でも神社仏閣が多くある地域だ。
まずは、『チシャの木』があるという敬川古八幡を目指す。
“古”という字が付くくらいだから、それなりに歴史があるに違いない。
敬川古八幡は図書館の資料では詳細な場所が分からず、Google検索でゲットした情報をもとに突入を試みたが、どうやら雲行きが怪しい。
しかし、退くわけにはいかない。
我々は探検に来たのだ。
さらに奥へ進もうとしたそのとき、オダワラ旅団長がつぶやいた。
「大尉、本機はスタックしました……」
なぜこうも山道でトラブルに遭うのか……。(第7次後編参照)
ウォンウォンウォン、スルスルスル……
エンジン音と空転するタイヤの音が山の中に消えていく。
新入り隊員に運転してもらい、オダワラとボンコバラが友情フルパワーを発揮する!
オダワラ「ファイットォォォオオオオオオ!!!!」
ボンコバラ「イッッップゥアアアアアツッ!!!!」
(力んだ瞬間にちょっと屁が出たことは歴史の闇に葬り去るとしよう)
鷲のマークがスポンサーに名乗り出すのでは!?
そんな勢いで機体を押しまくる。
何とかぬかるみから抜け出すことに成功した。
この先は道がせまくなっており、これ以上車探検機で進入するのは不可能と判断し、歩いて進むことにした。
奥に進んだが、どうやらこの周辺にお目当てのものはなさそうだ。
どうやら完全に道を間違えたらしい。
Googleマップを信じて油断してしまった己を恥じたい。
気を取り直し、何かヒントがあるかもしれない、ということで現在の敬川八幡宮へ移動。
かつては丘の上にあったこの神社も幾度かの変遷を経て、現在の平地に鎮座することとなったようだ。
しかし、肝心の古八幡の場所は分からず。
結局、この日は敬川古八幡の探索を断念せざるを得なかった。
旧山陰道“波子の石畳”
江津市内で歴史的な石畳といえば、江津本町にある土床坂(つっとこざか)が有名である。
土床坂も旧山陰道の一部。
現在の国道9号よりも山側にあり、往時は人の往来で賑わったのだろう。
資料によれば、その山陰道の一部が石畳として江津市波子町にも残っているという。
資料によると、波子の石畳は波子八幡宮“付近”にあるらしく、その境内をくまなく探すが手掛かりは見つからず。
境内の散策をあきらめ、波子のまちなかへ。
波子町は江津市内でも屈指の『赤瓦の町並み』がしっかりと残っている地区である。
ほとんどの江津市民は海沿いの国道9号を使うので、波子町の“なか”を通る機会は少ない。
写真のような趣のある路地がたくさんあり、景観としては魅力的だ。
しかし、お目当ての石畳が見つからない……。
『オンバシの屈辱』に続くアンタッチャブル!
なんと、またしても今回の探検では目的地にたどり着くことができなかった。
過去には、
里山四天王(熊、猪、蛇、蜂)
大自然の猛威(落石のおそれのため立ち入り禁止)
が我々の前に立ちはだかったのだが、今回は何かに妨げられたわけではない。
完全に“敗北”を喫したのだ。
しかし、困難があればあるほど燃えるのが恋と探検である。
ワラバラ探検隊にはキュンキュンするようなラブコメ要素はミジンコほどもないが、
この敗北を敗北で終わらせないために、我々は更なる鍛錬を心の誓ったのだった。
おまけ 第1回チキチキ!超小さいトンネルを車ですり抜けろ!
先ほどご紹介したこのトンネル。
引き返す際に、地元の人が運転すると思しき車が我々の目の前を通過したかと思えば
「ごめんあそばせ」と言わんばかりの軽やかさでトンネルを抜けていくではないか!
石畳がみつからず、ほぼ投げやり状態の探検隊は
「探検機でトンネルが通れるか、試す」
というもはや探検でも何でもないことに挑戦することにした。
運転手はもちろん、幾度となく死線をくぐり抜け、人けのない山中でオーバーヒートしても屁の河童であるオダワラ旅団長だ。
フラグじみた言葉を遺し、旅団長と機体はトンネルに突っ込んでいく。
「行けたよー」と旅団長。
旅団長の運転技術を持ってすれば、朝飯前のようだ。
とりあえず、軽自動車なら問題なく通れそうです。
※トンネルの上はJRが通っており、万が一トンネルに車が接触した場合は列車の運行に影響を与えることもあるため、面白半分で通行することはやめましょう。
to be continued…